顧客VOICE:社員のマインドまでをも変えてしまった、沖縄情報メディア『OKITIVE(オキティブ)』がもたらした効果とは #1
2024年11月に放送開始から65年の記念を迎える沖縄テレビ放送株式会社様。
長い歴史の中で培われた、環境の変化にも柔軟に対応できる力と、社員一人ひとりが新しいことにチャレンジしようという意欲が高いことが印象的です。
その背景には、沖縄テレビ放送の沖縄情報メディア『OKITIVE(オキティブ)』による効果がありました。
本インタビューでは、約4年前から『OKITIVE』立ち上げに携わり、今年6月に沖縄テレビ放送株式会社 取締役 兼 東京支社長に就任された國吉様にお話を伺いました。
写真左から、株式会社アイリッジ 取締役 兼 株式会社Qoil 代表取締役社長 山下 紘史、
沖縄テレビ放送株式会社 取締役 兼 東京支社長 國吉 真二 様
沖縄テレビの歴史と2人の出会い
──沖縄テレビについて教えてください。
國吉さん:
沖縄初の民間放送テレビ局として、1959年の11月1日に放送を開始してから、今年で65年になります。
沖縄が日本に復帰する1972年以前より、アメリカの放送免許を使って放送を開始したという全国でもまれな歴史があります。
当時は、アメリカに統治されていたためにあらゆる規制がきびしかったり、番組が輸出・輸入品として扱われたり、CMの権利問題などに悩まされることも多くあったようです。
中でも一番大変だったのは、日本本土と沖縄との間にテレビ回線(マイクロウェーブ回線)がなく、朝昼晩と本土から空輸された番組フィルムを放送していたと聞いています。
参考:https://www.archives.pref.okinawa.jp/news/that_day/4714#:~:text=%E6%88%A6%E5%BE%8C
この少し特殊な歴史を経験していることが、現在のインターネット社会への移行という環境の変化にも柔軟に対応できる力に結びついていると考えています。
──國吉様ご自身について教えてください。
國吉さん:
私が入社したのは1994年で、今年でちょうど30年になります。
一番良かったと思うのは、様々な人に恵まれたことです。個性的な先輩が多く、何でも挑戦させてくれました。中でも最も大きな経験となったのは、CM作案システムの自動化です。営業が販売したスポットCMの時間を確保するのですが、スポンサーのニーズに合わせた時間を調整するという職人的な業務を行っていましたが、この業務を自動化するプロジェクトに関わることができました。
当時はまだ『DX(デジタルトランスフォーメーション)』という言葉はありませんでしたが、システム化を進める仕事に携わっていました。その際、当時の上司が「好きにやっていい」と言ってくれたおかげで、貴重な経験を積み、現在に至っています。
山下さんとのプロジェクトが始まってから4年が経ちます。一度ローンチしたプロジェクトがさらに発展し、新たなステージへと移行している状況で、これからどのような新しい展開ができるかを模索している段階です。
──2人の出会いについて教えてください。
山下:
2018・19年くらいに、前職の先輩のご紹介で初めて國吉さんにお会いしました。
テレビ局というお仕事をされている中で、デジタル化やSNSなど新しいことにチャレンジしていかなくてはならないものの、社員の方たちにまだそこまで知識がないことが課題だと伺いました。そこから、沖縄テレビの皆さまに向けて授業をするような形で取り組みが始まった、というところが出会いですかね。
なので、沖縄テレビさんとの出会いは國吉さんとの出会いからスタートしています。
沖縄情報メディア『OKITIVE(オキティブ)』の立ち上げ
──2024年7月に月間100万PVを達成した『OKITIVE』について、教えてください。
2024年10月に月間315万PVを達成した『OKITIVE』
山下:
苦労して作り上げたサイトです。
コンテンツとしては、テレビ局ならではの番組との連動や深掘りは当然の如くあります。
ただ、皆さんが『沖縄』と聞いたときに、思いつく限りでも数多くのコンテンツがあるじゃないですか。海、山、人など、たくさんの魅力的なコンテンツが思い浮かぶと思います。でも、東京の人たちが知っている沖縄のイメージは、テレビや旅行会社が提供している一部分に過ぎません。僕はもう実際に深く沖縄を知ったので、だいたい20%ほどしか伝わっていないと感じています。地元に根付いた放送局だからこそ伝えられるオリジナルコンテンツをつくって、残りの80%を伝えていこうと思いました。
「沖縄にはもっと多くの魅力がある!」と伝えるために、サイトの軸を『ヒト・モノ・コト』に据え、『沖縄が見つかる、繋がる』というOKITIVEの思いを形にしていくことにしました。テレビ番組との連動コンテンツだけでなく、オリジナルのコンテンツを作り、県内外の人々に届けるようにしました。グルメの紹介や、最近では「沖縄に移住するとどうなるのか?」といったリアルな情報を伝えることも、放送局の役割でもありますよね。
また、個人ブログとは違い、テレビ局が運営しているという信頼性や強みも前面に押し出し、より多くの人に正確で価値のある情報を提供することを目指しています。
<OKITIVEについて>
「OKITIVE」は沖縄に関するヒト・モノ・コトを軸に、あらゆる切り口で情報をお届けする沖縄エリア特化型メディアです。沖縄テレビが開局60周年を迎えた2019年末頃から、テレビ局の新たなあり方を模索する取り組みとして構想が始まり、能動的・活発に沖縄の情報を探している人と沖縄をつなぐという想いを込めたWebメディア「”OKI”NAWA+AC”TIVE”=OKITIVE」として、2021年12月にスタートしました。
詳細はプレスリリースをご覧ください。(https://iridge.jp/news/202408/36666/)
──『OKITIVE』のプロジェクトが始まった頃のお話を教えていただけますか。
山下:
僕らの世代は、まさに『テレビっ子』と呼ばれる世代です。小学生から中学生の頃、クラスでテレビ番組の話をしないと会話についていけないくらいでした。
でも、時代は変わり、現在の若い世代の人たちは、テレビの話題が少なくなっていますよね。
ただ、世間では『テレビ離れ』と言われていますが、結局、話題になるのはテレビ番組から生まれるコンテンツが多いんですよ。
みんなが観ている番組には面白いものがたくさんありますし、どこかで「テレビってどうなの?」という声もありますが、デジタルに携わっている僕らから見ても、テレビ局のコンテンツって本当にすごいんです。莫大な予算をかけて制作され、全国で同じ笑いを共有できる力は、まさにテレビの強みですよね。
言い方が悪いかもしれませんが、デジタルコンテンツって、どこか手触り感がなくて、逆にテレビのコンテンツの強さが際立っていると思います。だから、僕はずっと「テレビとデジタルの融合で何か面白いことができないか」と模索してきました。
テレビ局もニュースや番組情報をWebに載せていますが、もっと深掘りしてほしいと思っています。これだけ面白いコンテンツを作れるのに、デジタルにもう少し寄ってきてほしい、と。テレビは決まった枠の中で作るものですが、デジタルではその枠がない。好きなことを自由に掘り下げられるので、コンテンツ制作のプロとして一緒にデジタルの世界でも何かやりませんか?というところから、『OKITIVE』の話が始まったんです。
そして枠のないデジタルだからこそ、コンテンツ発信だけではなく、デジタル広告やキャンペーン企画、外部メディアへのコンテンツ販売や企業とのメディア共同運営など、新たなビジネスモデル創出の取り組みも広げていくことができます。
國吉さん:
プロジェクトが始まった頃には、沖縄テレビ側にも課題がありました。
当社は社員同士の仲がとても良く、テレビや放送の仕事に情熱を持っている社員が多いんです。だからこそ、新しいデジタル分野に挑戦する際に、「現状の業務が楽しいため、なぜ報道記者、制作ディレクター、営業の自分がやらないといけないのか」という思いを持つ社員が多くいて誰かがやるでしょうという感じでした。
これはどの業界でも同じかもしれませんが、今やっている仕事が中心になってしまい、なかなか新しい分野に踏み出せないという状況でした。
さらに、社員たちはデジタルに弱く、放送が終わったらそのコンテンツも終わりだという考えになってしまっていました。そうじゃないということは、頭の片隅では理解していたものの、「じゃあ、オウンドメディアやりましょう」となった時に、誰がそれを担当するのかという問題もあります。
当時、会社のホームページも拡張性や汎用性がなく、課題は山積みでしたが、それを解決できる人がいなくて途方にくれている状況でした。
そんな時、たまたま私(國吉)の部署異動があったことで、新しい取組みにチャレンジできそうなタイミングが訪れました。さらに、運命なのか、デジタルに強い山下さんが目の前にいるわけですよ。きっかけとタイミングが合い、一気に話が進みました。
山下:本当に運命だったと思います。
自信を持って言える「沖縄テレビには『OKITIVE』がある!」
──『OKITIVE』を立ち上げた当初の課題について、もう少し詳しく教えていただけますか。
國吉さん:
東京を除いた全国のローカル局はおおむね50〜60年、同じ事業を続けています。しかし、時代の変化とともに通信技術が進歩し、SNSやインターネット広告が急速に発展しました。特にこの5年でその影響は顕著になり、コロナの影響もありましたが、10年ほど前から既にその兆しは囁かれていました。
今も課題として捉えているのですが、新しいことにチャレンジする機会が少なく、挑戦してもモチベーションが保てないことが多いんです。やってみてもなかなかマネタイズが難しく、いつまで耐えれば結果が出るのかが見えない。時代の流れに合わせて、放送した内容をWebに移したり、ニュースを含めてWeb専用のコンテンツを作る必要が出てきました。
会社として、放送はメインの手段であっても、情報発信の役割は放送だけに留まりません。では、誰がその作業を担当するのか?どうやって収益化を目指すのか?その答えはまだ見つかっていませんが、放送以外の情報発信についてはやらなければならないという課題を持って、社内外の人々を説得してきました。
國吉さん:
当初は、2〜3年で100万PV、3〜4年で1000万PVという理想を掲げて提案しました。この目標は将来に向けて間違ってはいないと思っています。テレビだけでは成長が見込めないため、ローカル局としてメディアとしての役割を果たすためにも、インターネットや新規事業の立ち上げが不可欠です。
ただ、その方向性を引っ張る知識がある社員が少なく、社外の専門家から意見をもらうことで、納得のいく形で進めています。このような取り組みを続けてきて、山下さんたちの参画で社内の考え方が変わり、彼らの仕事ぶりを見ることで横の影響が広がってきていると感じています。
取り組みを続けてきた効果として最も大きく感じることは、社員に自信がついたことです。「沖縄テレビには『OKITIVE』があります!」と視聴者やお客様(広告主)に伝えることができるようになりました。テレビだけでなく、Webサイトを通じた情報発信がアクセスにつながっていることを示せるのは、若い社員たちにとっても大きなモチベーションになっています。また、リクルートの場でも『OKITIVE』の話題が多く、会社のブランディングにも繋がっていると強く感じています。
──社内を大きく巻き込んだプロジェクトだと伺っています。どのように進められたのでしょうか。
國吉さん:
このあたりが一番気を使ったところになります。丁寧に段階を踏んで進めることを意識しました。
まず、検討委員会を立ち上げて若手社員を集め、現代のデジタル化の一般的な動きについて理解してもらいました。そして、その時に山下さんに月1回、全6回の勉強会を開いてもらい、デジタルに関する基本的な知識を段階的に学び、全社にその知識を浸透させることを目指しました。
一部の人間だけがやっていると、「誰かが何かをやっている」で終わってしまうので、全員を巻き込む必要がありました。山下さんにも「全員を巻き込まないと、このプロジェクトは上手くいかないですよ」と言われていました。そのため、スタートするまでにかなり時間を費やしました。
山下:ローンチまでに2年弱かかりましたね。
國吉さん:
社内の説得や予算を獲得するためには、このプロジェクットは全員が納得する必要がありましたし、丁寧に段階を踏んで進めたことは正解だったと思います。
山下:
発案者が一人で進めようと思えばできたかもしれませんが、そうすると社内では「発案者が勝手にやっている」と見られてしまう可能性がありました。そのため、丁寧に少しずつ周りを巻き込みながら進めることを提案させてもらいました。結果、プロジェクトに関わる人が増え、オンライン・オフラインの両方で進めながら、社員一人ひとりがデジタル上でやりたいことを少しずつ引き出して、形にしていくプロセスがしっかりできたことで、無理なくプロジェクトが進行したと思います。
──運用面でも周りの理解・納得は非常に重要ですよね。デジタル戦略を推進するにあたって、山下さんに相談する以外の選択肢はあったのでしょうか。
國吉さん:
他にも数社と話をしましたし、構想を共有することもありました。身近な企業にお願いすることも検討しましたが、経験がない中で試行錯誤するよりも、大きな変化をもたらしてくれることを期待して、全国で豊富な経験を持つ山下さんに依頼することに決めました。
ただ、これも私が独断で決めたわけではなく、検討委員会で話し合って決定しました。
#2 に続きます
<目次>
- プロジェクトの命運を分ける『最適な人材』とは
- 『OKITIVE』がもたらした、会社と社員の好循環
- 沖縄テレビとアイリッジが目指す世界
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(取材・文:松岡知美/榎本蒼、写真:浅野智洋)